[[ソフトマターの多階層/相互接続シミュレーション]]

* 研究のインパクトと将来展望 [#e1548af2]

 計算科学の立場からすると、系を構成するすべての原子・分子をミクロなシミュレーションで取り扱い、あらゆるマクロ性質を意のままに予測・解析することは1つの目標である。しかし、系が小さな単位格子の繰り返しで構成されているような特殊な場合を除いて、このようなミクロシミュレーションは全く実行不可能である。我々が対象とするソフトマターはマルチスケールの階層構造を持つことが普通であり、ミクロシミュレーションだけでは歯が立たない最たる物の1つである。

マクロの1つの指標としてアボガドロ数個の分子×1秒間の計算を想定し、ミクロシミュレーションを行うための計算機資源を見積もると、地球シミュレータを占有しても1010年という途方もない時間になる。仮に計算機の速度が5年で10倍早くなると言うムーアの法則がずっと続いたとしても、そのような計算を今世紀中に実現することは不可能である。ソフトマターは各種機能性材料の宝庫であるが、材料物性や製造プロセスに対してコンピュータシミュレーションを活用するためには何らかの粗視化手法を用いる以外に解決方法はない。ソフトマターの分野で他の分野に先駆けてメソスケールシミュレーションが発展した背景にはこのような深刻な事情がある。

これまでは基礎科学的な立場からメソスケールシミュレーションの有効性にばかり注目が集まったが、材料物性や製造プロセスという本来の用途に戻って考えると大きな問題に直面する。つまりこれまでメソスケールシミュレーションで用いてきた粗視化モデルに分子構造などのミクロな情報を反映することが困難きわまりないのである。この問題は重要な未解決問題として認識されてはいたが、有効な解決手段がなく長年放置されてきた。異なるシミュレーション手法を接続してこの問題を解決しようというアイディアはすばらしいが、具体的な方法が存在しないために絵に描いた餅で終わっているのが現状である。ソフトマターの分野に限らず、同様のケースは計算科学の最先端に横たわる普遍的な問題として存在する。我々の研究提案はソフトマターの分野からのこの問題に対するアプローチであり、得られた成果はソフトマターの分野にとどまらず、マルチスケールシミュレーションが有効に働いた成功例として計算科学一般の広い世界に対してインパクトを与えることになると確信している。

 ソフトマターを通してこの問題に挑戦する我々の有利な点としては、ソフトマターに対する粗視化理論やメソスケールシミュレーションの有効性が確認され大成功を収めていること、I-4に述べたようにそれぞれの拠点責任者はJSTのさきがけやNEDOの産業助成などを経て強力な独自シミュレーション技術を既に持っていること、研究者の年齢が比較的若く現役の最先端研究者として実務を担当でき実質的で緊密な連携が可能であることなどがある。

物質科学の問題として本プロジェクトをとらえると、化学・材料系の計算技術と物理系の計算技術を接続する重要なプロジェクトとなっている。物質科学のシミュレーション研究では、物質の化学的な個性を重視する量子化学計算や分子動力学計算などの化学系の計算と、物質や現象の普遍性を抽出してモデル化する粗視化モデリングなどの物理系の計算がそれぞれ発展してきている。相互の接続は原理的に可能であると考えられているものの、境界領域であるために系統的な検討が行われてはいない。これは手間がかかる割に学術的な仕事としての価値が低く見られているという側面も影響していると考えられる。しかしながら、化学系と物理系の計算技術の接続なしには実用的な計算技術は作り得ない。必要であると認識されつつも放置されてきた問題であり、世界的に見ても本プロジェクトの成果がきわめてユニークなものとなることは間違いない。

本研究で得られる主たる成果のうち“多階層シミュレーションの手法”については広く情報を公開し、シミュレーション科学における基盤技術として有効利用できるようにしたい。“包括的材料・プロセス設計ソフトウエア”については権利を保護し、研究終了後の事業化を検討したい。